鈴新株式会社 代表取締役 鈴木猛 社長
“着実なしなやか経営で75年の老舗鋼材卸売会社”
今回お邪魔したのは、第3回千代田ビジネス大賞で大賞を受賞された鈴新株式会社です。鉄鋼2次製品の卸売という経営環境としては大変に厳しい条件下にありながら、75年の長きにわたって着実に事業を展開されています。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか?
財団法人まちみらい千代田から徒歩で約5分、内神田にある鈴新株式会社を訪問しました。案内されて会社に入ると壁には第3回千代田ビジネス大賞の表彰状が立派な額に入れられて飾ってあります。よかった。よかった。受賞を喜んで頂けたのだなあとまずは一安心。奥の会議室に通され、しばらくすると鈴木猛社長と夫人である鈴木悦子総務部長が入ってこられました。早速インタビューのスタートです。
創業者は鈴木新助社長
鈴新株式会社の創業者先代鈴木新助氏は、千葉県の佐倉市出身で鈴木猛社長の父親です。先代鈴木新助氏は学校を卒業後、大正13年当時東京一の鉄鋼製品の販売会社であった野崎栄蔵商店に入社。以来メキメキと商売の頭角を現し、昭和10年には鈴木新助商店(当時)として独立を果たします。
独立の際に野崎栄蔵商店から3件の得意先を分けてもらったそうです。そのうちの2社はレコード針の製作会社。当時は蓄音器の全盛時代で、レコード針は小さいけれど音質に重要な影響を及ぼす最重要部品の一つであり、その材料を提供していました。つまり、鈴新株式会社は、レコード針の材料というニッチな付加価値を持った材料・製品を提供することからスタートした会社なのです。以来、鈴新株式会社は単に鋼材を右から左へ流す商社ではなく、鋼材は鋼材でもニッチな高付加価値商品の提供という路線を進んできたのです。
先代鈴木新助氏は誠に魅力的な人柄であったらしく、その様子は創業75年周年記念誌に詳しく紹介されています。そのいくつかを紹介すると、
(1) 大きな会社とも取引を行い、一度つくった人脈を一生大切にする感謝の心
(2) 決して威張らず、「うちあたりは・・・」が口癖の謙虚な姿勢、身の丈の経営
(3) 夜昼なく寸暇を惜しんで率先垂範でまめに働く仕事への取り組み
(4) 写真の撮影・現像・焼付、ゴルフ、文芸春秋、自動車、英会話など当時としては最新鋭の技術や文化に取り組む進取の精神
(5) 忙しい中でも時間をとって行う家族への思いやりや親族へ面倒見
などこれらの人柄は鈴木猛社長に引き継がれ、現在では鈴新株式会社の風土となって受け継がれています。
得意先と仕入先の間で
創業時のレコード針の材料だけにこだわっていたのでは、到底鈴新株式会社は現在のような形で存在していなかったと思われます。鋼材商社ということを軸にしながらも、その展開は非常に柔軟で幅広いものです。どのように激変する経営環境に対応してきたのでしょうか?
鈴新株式会社の営業活動の特徴は、得意先と仕入先の間での動きにあります。得意先が「困ったなあ、どうしようかなあ」と思った時に、鈴新株式会社のスタッフが近くにいて必ずその相談に乗ってくれる。鈴新株式会社のスタッフは得意先のニーズを明確化し、最適な仕入先を選択し、得意先との共同開発により得意先の問題を解決していくのです。得意先にとって鋼材が絡む開発では鈴新株式会社がなくてはならない存在なのです。
昭和39年、タイヤの中に入っているビードワイヤー(ホイルにひっかける部分の補強のために入れるブロンズメッキの鋼線)の共同開発はまさにこの好例で、その後もさまざまな製品開発にかかわり、鈴新株式会社では開発された製品や材料を提供しています。
近年では、得意先が過酷な環境である海底ケーブルの光ファイバーを保護する金属製品の開発に悩んでいた際、スタッフの一人がその技術を利用できそうな技術会社を見つけ出し、開発を依頼。大変な苦労があったようですが、見事その開発に成功。製品化にも成功し、鈴新株式会社ではその製品を得意先に提供しています。この製品は現在の鈴新株式会社にとっても大きな売上を構成するようになっています。現代社会にとって、海底の光ファイバーケーブルは必要不可欠な通信インフラです。鈴新株式会社はその一端を担っているのです。
ちなみに、この光ファイバーケーブルの保護部品の開発を担当した武田勉氏は、創業から先代を助けた武田忠氏の長男で、現在は2代目鈴木猛社長を補佐する役割を担っている方だそうです。他にも何人か親子2代にわたって鈴新株式会社に勤めている社員もいるとのこと。技術を伝承するための日本の中小企業の良き伝統といえるのかもしれません。
現在特に得意先からの要望が多いのが環境対応への製品です。人体に有害な物質を使わない鋼材、環境に優しい鋼材への要望に応えるべく、第三営業部を立ち上げ、環境・エネルギー関連事業にも乗り出しているそうです。平成18年には鈴新株式会社自体も環境認証KES(環境マネジメントシステム・スタンダード)を取得し、千代田区のグリーンストック作戦にも参加してエコ診断を受けるなど、地球環境への取り組みを盛んに行っています。
厳しい時代を乗り越えて
しかし創業以来いつも順風満帆であったかというと、さまざまな試練もあったと鈴木猛社長は言います。大手商社との競合は日常茶飯事、競争はますます激しくなっているのです。
中でも最大のピンチは平成13年をピークとしたそれ以降の売上の激減。そこに大きな不良債権の発生が加わり、それまでの厚い内部留保があるとは言え、会社としては存亡の危機に立たされて、塗炭の苦しみを味わいましたと鈴木社長。 迅速できめ細かい月次決算、厳しい与信管理や経費管理、同族外の役員登用、月一回の役員会の開催、銀行や調査会社への対応など、中小企業が不得意な経営管理の仕組みづくりを鈴木社長は行ってきました。
そのかいあって平成16年からは売上はV字回復、不良債権も平成22年までには完全に処理を終え、約10年にわたる厳しい経営を乗り越え健全な経営に戻ったということで、平成22年10月1日に創業75周年のお祝いの会を開催し、記念誌を発行されたのです。
実は第3回千代田ビジネス大賞への応募も、厳しい経営状態から脱した後、さらなる飛躍へのきっかけとしたいという動機から応募したというのが本音ですと鈴木社長。
二人三脚の経営
ところで鈴木猛社長は大変に寡黙な方で、インタビューをする私としては非常にやりにくいタイプなのです。私の質問に対しても、必要最低限の単語を二言三言ポロッ、ポロッと発するだけです。つらい。
しかし、心配はご無用。一緒にいらっしゃる総務部長悦子夫人から、完璧なフォローの説明をして頂けるのです。
悦子夫人の補佐は、会社の説明のフォローだけではありません。夫人は先代の鈴木新助氏の会社への送り迎えや介護を行ううち、徐々に総務、経理、財務といった面から会社の経営に参画。現在では鈴木社長と悦子夫人は、二人三脚で鈴新株式会社の経営にあたられているようです。
お二人に共通するのは大変に勉強熱心であるということ。鈴木社長は単発のセミナーだけではなく、6か月にわたる経営者向けの勉強会に参加をされたこともあるそうですし、悦子夫人は2年半かけて社会人向けの大学院でMBAを取得。実務だけでなく、理論的にもしっかりと経営を学んでおられるのです。現在は神田外語学院で英語を勉強しなおしているそうです。もちろん自分たちだけではなく、社員の方々にも貿易検定やエコ検定など社内でも学ぶことを積極的に支援しています。
“お金は体に着けてしまえ”つまり、お金は貯金で持っていても有効ではない、勉強に投資して身につけて働けばお金以上の価値になるというのが、先代新助氏の信条だったようでして、こんなところにも先代からの影響が感じられます。
先代あっての鈴新ですとおっしゃる鈴木社長。
・顧客第一
・質素倹約
という先代の理念は、鈴新株式会社に脈々と受け継がれています。
社長と夫人の二人三脚で厳しい環境を乗り越え、小さくともきらりと光る鋼材の商社として、次にどのような発展の進化をとげるのか大変に楽しみです。
◇鈴新株式会社
http://www.suzushin.com/