株式会社スケール 代表取締役 杉浦岸太郎 社長
“アッと驚くかっこいいパンツの企画会社”
突然ですが、男性の皆様、自分の下着に気を使っていますでしょうか?私の場合は全く失格です。20年ぐらい前から同じようなデザイン、同じような生地、同じような値段の下着を買っては穿き、古くなっては捨ての繰り返しです。全く発展なし。
SAPPYというブランドで男性用パンツに新風を巻き起こしている会社が神田美土代町にあります。今回お邪魔したのは、株式会社スケールの代表取締役杉浦岸太郎社長です。
美土代町にあるビル2階の事務所に訪れ、応接室に通されました。周りは目がチカチカするような原色のパンツのサンプルがずらりと並んでいます。
コーヒーをいただきながら、杉浦社長へのインタビューのスタートです。
証券会社出身の杉浦社長
株式会社スケールの杉浦社長は、もともと衣料業界からスタートしたわけではなく、証券会社出身だそうです。杉浦社長が入社したのは日本が経済バブルに向って突き進み、証券会社が良くも悪くも急拡大していった時代です。
証券会社本部での営業担当者として、その後は支店での営業最前線の担当者として、杉浦社長のビジネス人生がスタートしました。
証券会社時代には、いい所も悪い所もさんざん見せてもらいましたと杉浦社長。特にバブル崩壊後の支店勤務の時代はこんなことをしていていいのかなという罪悪感に苛まれながら、毎日営業をしていたそうです。
バブル崩壊後は株価は長期的な低迷期に入りました。しかし、その状況下でも営業マンとしての成績は上げなくてなりません。毎日毎日、上司は数字の達成を迫ってきます。相場が下がっていくのがほぼ確実な見通しの中で、資産を持った高齢者を攻めろというのです。顧客に営業をかければかけるほど、顧客に損をさせてしまい、罪の意識に苛まれる。営業しなければ会社からの追及が厳しくなって、営業マンとしての責任を追及される。
結局、このままではやってもやらなくても苦しむだけだと若き日の杉浦社長は考え、この状況を打破するには、自分で独立するしかないとあてもないまま証券会社を辞めます。
株式会社スケール創業の顛末
証券会社を退社後、車が好きだった杉浦社長は、アメリカ車の輸入会社をやろうと思い立ち、伯父さんから資金を借りて準備を始めます。ところが杉浦社長は輸入の素人なので、その手続きが分かりません。輸入商社をやっているらしいと噂の友人に連絡すると、教えてやるからすぐに会社に来いということになり会社に訪問。
ところがこの友人から“ところでお前、お客はいるか?”と尋ねられ、“これから探す”と応えると、“そんな売れるか売れないかわからない車を仕入れて商売を始めるより、自分の会社を手伝わないか?”と誘われます。
この友人の会社はパチンコの景品を海外から輸入して、パチンコ店に納めている会社だったのです。得意先は業界の最大手のパチンコチェーン店で、時計、香水、バックなどのブランド品が、持っていけば持っていくだけ飛ぶように売れるのです。ところが、友人の会社は輸入して先に支払いをしなければならないため、商売が広がれば広がるほど資金不足に陥っていたのです。友人は、杉浦社長が伯父さんからから借りた資金を持っていたため、これに目をつけたわけです。
杉浦社長はこの話に乗ります。世界のブランド品が集まる香港に出かけ、ブランド店を駆け巡り、片っ端からブランド品を買い付けます。当初はそれをでっかいボストンバックに詰め、ハンドキャリーで日本に輸入していたそうです。1,000個ほどの時計を詰め込んだボストンバックから洩れる秒針の音がうるさくて、ホテルで寝られなかったことを思い出しますと杉浦社長。
最初は素人だった杉浦社長も、品物の選定や物流のシステムを作り上げることに成功し、輸入業者としてのノウハウを蓄積していきます。順調に成長を続けていた矢先、大きな問題が巻き起こります。友人の会社の得意先、業界最大手のパチンコ・チェーン店から友人の会社にある要請がありました。その内容とは、友人の会社が大きな取引ができ、安く仕入れられるのは、ウチ(パチンコ・チェーン店)の会社のおかげであり、ウチの会社のおかげで安く仕入れた商品をウチの会社以外に販売するのはけしからんというのです。困った友人は、業界最大手のこのチェーン店以外の小さな得意先パチンコ店を杉浦社長に譲ることにしたのです。
仕入は自分でできるのですから、意気揚々と杉浦社長は譲ってもらった得意先のパチンコ店への営業を始めます。ところがあることに気が付きます。それはパチンコの景品は委託販売で、売れない商品は返品されてくるのです。大手のパチンコ・チェーン店と違い、小さいパチンコ店からは返品の山が届きます。在庫の山に困った杉浦社長は、当時流行りつつあったディスカウント店に目を付け営業を始めます。しかし、大手のディスカウント店は株式会社スケールのような弱小会社には目も向けてくれません。
ある日、ふと業界誌に目を通していると当時7店舗を有し、さらなる新規出店のために仕入業者を募集しているディスカウント店がありました。そのディスカウント店こそが、その後の株式会社スケールに大きな影響を与えるドン.キホーテだったのです。
ドン.キホーテとともに
ドン.キホーテとの取引は最初は輸入ネクタイからスタートだったそうです。現金での支払いだったので非常に助かったと杉浦社長。その後しばらくして、ドン.キホーテが新規出店する際に他の仕入業者は呼ばれるのに、株式会社スケールは呼ばれないのです。なぜかなあと考えていると、その原因が定番商品を持たないことであると判明。
杉浦社長は、ドン.キホーテの最初の担当者がブランド品と衣料品だったこともあり、当時人気が出てきたBVDのトランクスに目を付けました。当時の仕入業者の対応があまり良くなかったために、株式会社スケールが入り込むことができたのです。やっと定番商品が扱えると思った矢先、前の仕入業者は大手であったため、メーカーであるBVDに対し圧力をかけ株式会社スケールにBVD商品を供給しないように仕組んだのです。
商品の供給を止められ、株式会社スケールは再び定番商品での商売ができなくなりました。しかしその後、ドン.キホーテに一緒にあいさつしたBVDの社員から、いっそ株式会社スケールのオリジナル商品を作ったら?といって商社やパッケージデザイナーを紹介されたのです。
最初のオリジナル商品は白の丸首Tシャツ3枚組です。品質も良く価格も手ごろだったため大ヒット。続いて白のVネックTシャツ3枚組とヒットを連発しました。もちろん売先はほとんどすべてドン.キホーテです。都内のある店舗が新規オープンの際、隣に競合店があり、白の3枚組のTシャツを販売していました。品質はあまり良くなかったようですが、競合店は高いブランド力を持つお店です。ドン.キホーテの担当者より、隣の競合店に勝てるTシャツを提供するように言われ、杉浦社長は考えました。思いついたのが、当時は珍しかったカラーのTシャツです。1枚380円。カラーは8色。この商品も大ヒットし、見事定番商品化されたのです。
このころになると定番商品も増え、新規オープンの際には必ず呼ばれる会社となっていました。そこでドン.キホーテの担当者の口から出たのが、パンツはシャツの5倍売れるとのこと。早速、杉浦社長はカラーTシャツの経験を活かし、カラーのパンツを企画したのです。カラーのトランクス型パンツとカラーのボクサー型パンツです。そのうち、デザイン、生地、ゴム、ボタン、パッケージなど様々な工夫をこらしていき、統一ブランド名は“SAPPY”としました。商品アイテムはどんどん増え、現在では全国のドン.キホーテの男性用下着の看板商品となっています。
杉浦社長が業者募集広告を見て初めて訪問した際には7店舗だったドン.キホーテは、現在海外を含め全国200店舗を超す大型小売チェーンに成長を遂げたのです。株式会社スケールはこのドン.キホーテの成長とともに業績を向上させてきました。
3つのコンセプト
株式会社スケールでは、商品企画、開発を日々行っていますが、ただやみくもに企画開発するのではなく、最近は「テーマ性を持たせる」という事に挑戦しています。直近のテーマは3つです。
(1) エコ・ナチュラル
絆や結びつきを大切にする自然派志向
(2) アスリート・セクシー
スポーツマンのような健康的で清潔なかっこよさ
(3) ニア・フューチャー
近未来をイメージしたデザインや素材
杉浦社長は、下着や衣料の分野出身ではありません。そのための初歩的な失敗も多かったと言います。しかし、素人であっただけに常識にはとらわれない発想やアイデア、ブレークスルーが出来たおかげで、ドン.キホーテという新進気鋭の小売店とその顧客に認められ、ここまで成長することができたのではないかと杉浦社長は言います。
企画会社として活路
株式会社スケールは、下着のメーカーや卸売といった範疇ではなく、完全な企画会社だと杉浦社長は言います。小規模の企画会社が生き残るためにはどんなことを心がけているかをお聞きしました。
(1) 男性用のデザインパンツという大手がマネしにくいニッチな市場を扱う。
(2) 顧客のターゲットを35歳以下の若者に絞る。
(3) 価格は700円から900円ぐらいの若者が買える価格帯とする。
(4) 24時間寝ても覚めても商品企画を考える。
(5) 世の中にない驚きの商品を開発する。もし、あることが分かったらその開発は即刻辞める。
(6) 販売は得意先である小売店に任せ、企画と生産管理に徹する。
光沢のある生地のパンツ、原色を組み合わせたパンツ、スポーツウェアのようなパンツ、蜜柑のネットに入ったパンツ、腹巻つきのパンツなど既成概念のとらわれない商品の数々はこのような杉浦社長の思考回路から生まれました。
将来は中国の生活者に向けて販売していきたいという杉浦社長。でも、中国で販売したらすぐにマネされるでしょとお尋ねしたら、“デザインは盗まれますが、頭の中は盗まれません。企画で勝負に勝てる自信があります”とのこと。
自社が扱っている商品について徹底的にその企画開発を考えること。大変に勉強になった企業探訪でした。
◇株式会社スケール
http://www.sappy.co.jp/