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株式会社山の上ホテル 取締役白野直樹 業務統括支配人

HOTEL WITH PERSONALITY(ホテルは人なり)

 日本の中心にある千代田区には、日本を代表する大型ホテルから中型ホテル、そしてビジネスホテルまでたくさんのホテルがあります。その中でそれらのホテルとは一線を画し、静かで柔らかな光を放つ全74室の小型のホテルが神田駿河台にあります。それが今回お邪魔した“山の上ホテル”です。
 コートなしでは少々寒い11月の風に吹かれながら、自転車で神田錦町を出発。駿河台下の交差点を経て明治大学横の吉郎坂を左折。マロニエの木々に囲まれた本館前の駐車場に自転車を止め、ホテルフロントで待つこと約5分。用意していただいた小部屋で、株式会社山の上ホテル取締役白野直樹業務統括支配人へのインタビューがスタートです。

有名な作家に親しまれ

 山の上ホテルといえば有名なのが、多くの作家に愛されたホテルであるということです。いきなり失礼ながら、“作家で最初に山の上ホテルに泊まったのが川端康成というのは本当ですか?”と白野支配人にお伺いしたところ、確かにそのように語り継がれていますとのこと。それ以来、尾崎志郎、三島由紀夫、池波正太郎、井上靖、檀一雄、松本清張、吉行淳之介、五味康祐、小林秀雄など数えきれないほどの昭和の日本文壇を代表する作家たちが山の上ホテルを常宿とし、仕事をしたり食事をしたりしてきたのです。

 なぜこのように作家に愛されたのか?それには大きく2つの理由があると白野支配人は言います。
 ひとつは立地。ホテルから5分ほど歩けばそこは世界最大の神田神保町書店街。作家が作品を生み出すための巨大な書庫のような存在です。さらに神田神保町には集英社や小学館といった出版社が集積します。御茶ノ水駅を越えたところにある文京区の音羽にも、講談社を中心とした出版社が多数集まっています。最近は工場こそ減りましたが、千代田区にも文京区にも印刷会社が集まっていました。千代田区から文京区にかけての、図書や雑誌の出版、印刷、販売の巨大な集積の中心に、山の上ホテルは存在したのです。FAXやコピー、もちろんインターネットなどなかった時代、この立地は、作家の先生や編集者にとって大変に利便性の高い場所だったと思います。
 山の上ホテルに作家のお客様が多いもう一つの理由は、創業者である吉田俊男社長の家系。初代吉田社長の父吉田弥平氏は著名な国文学者であり、姉の夫は高名な俳人水原秋桜子。ということで、吉田社長をとりまく横の関係でも文学系が多かったようです。
 多くの作家が山の上ホテルを使ううちに、あるジンクスらしきものが生まれてきたのだと白野取締役は言います。それは“芥川賞、直木賞を受賞した次の作品を山の上ホテルで執筆するとヒットする”というもの。このジンクスのおかげで、ますます山の上ホテルは作家にとって大事なホテルとなっていったのです。
 もちろんお客様は作家だけではありません。さまざまなお客様がいらっしゃるのですが、山の上ホテルのもつクラシックな雰囲気、こまやかなサービスを求めて来られるお客様として、医師、弁護士、会計士・税理士といった専門家や企業経営者のお客様が多いのが特徴のようです。

山の上ホテルの歴史

 そのクラシックな雰囲気から、山の上ホテルは戦前から営業していると思っている人も多いようですが、そうではないのだそうです。昭和12年佐藤新興生活館としてスタートし、太平洋戦争が始まると日本海軍、戦後はGHQに接収され、WAC(陸軍婦人部隊)の宿舎として使われていたそうです。返還される28年まではホテルではなかったのです。
 初代吉田俊男社長がホテルを誕生させたのは昭和29年。米軍の婦人部隊たちは“ヒルトップ”という愛称で呼んでいたのですが、吉田社長はその名称を“山の上ホテル”としてスタートさせました。
 本館は昭和55年に大改装されましたが、当初からの名残としては、本館入口の正面エレベーター周りと螺旋階段の手すりの台として使われている黒い御影石が残っています。
 また、山の上ホテルを愛した作家の一人である常盤新平氏が雑誌に連載した記事が、“山の上ホテル物語”(白水社)という書籍にまとめられています。伝説の経営者である吉田俊男社長のさまざまなエピソード、特徴のある支配人始めスタッフの面々の活躍、そして作家をはじめとしたホテルを愛するお客様たちの様子が詳しく書かれています。ホテルに宿泊されたり、食事に出かけたりされる方は目を通して行かれれば、楽しさが増すことは間違いありません。

食へのこだわり

 山の上ホテルの提供するサービスの中で、食へのこだわりは特別なものがあります。山の上ホテルといえば“料理”という人もいるほど、山の上ホテルの料理は評判が高いのです。
 山の上ホテルは本館別館合わせて74部屋ですが、和洋中のレストラン・料理店、コーヒーショップ、バーは、9つあります。部屋数に比較してすごく多い。しかもそれらはすべてホテルの直営店だそうです。そのコンセプトは“一から手作り”です。できるだけ出来合いの加工品は使わず、素材から調理をしてお出しするのがどの店でも原則です。名の売れた有名料理店に貸し出せば、手間もかからず家賃収入が得られるわけですが、そのような安易な方法をとらず、創業以来のコンセプトを守り続けて、お客様からの高い評価を得ているのです。
 年間の結婚式が約300組におよぶというのも、このおいしい食事というのが大きな理由のようです。山の上ホテルには宴会専用の厨房というのはなく、レストラン・料理店の厨房で作られた料理が宴会でも提供されるのです。派手なおもてなしではなく、クラシックな設備と調度品、アットホームな雰囲気の中でおいしい食事を味わってほしいという新郎新婦に、大きな支持を得ているようです。

こまやかなサービス

 白野支配人によると、サービスで特に気をつけているのは、こまやかなサービスだといいます。お客様をびっくりさせるような派手なサービスではなくて、出すぎない落ち着いたサービス。
 たとえば、雨の日には服についた雨を拭けるようにエントランスにタオルを用意し、夏の暑い日には汗を拭けるように冷たいおしぼりを用意しています。また西洋式のホテルでは珍しいチェックイン後のお部屋へのほうじ茶の提供など、こまやかなサービスを心がけていますと白野支配人。
 客室の清掃をホテルの社員がやっているというのもこのサービス精神の一貫です。多くのホテルがコストの関係から清掃業者に依頼している昨今、山の上ホテルでは今でも社員が自分たちで客室の清掃を行っているそうです。清掃は物をきれいにするとともに、清掃をする人の心をきれいにすると言われますが、客室の清掃を行う中でホテルマンとしての心を磨いているのでしょう。
 山の上ホテルでは館内の空調に酸素とマイナスイオンの発生装置をつけ、全館に流すことによって安らぎをお客様に提供しています。確かに館内に足を踏み入れるとなんとなく落ち着くのは、私だけでなく多くのお客様が感じられているようです。言われて初めて気付くぐらいのこまやかなサービス、これもそのひとつでしょうか。

さらなる発展のために

 白野支配人によると山の上ホテルでは、これまでよいサービスを提供することに集中してきたため、営業専門部門というのがないのだそうです。常連のお客様と口コミが中心で、営業活動にはあまり力を入れて来なかったということです。しかし、現在は競争も激しくなっており、これからはもう少し営業活動にも力を入れていきたいとのこと。ホテルの規模からいって大きな団体を受け入れることができないため、山の上ホテルの良さを理解していただけるお客様にどうやってアピールしていくかを考えていますと白野支配人。
 さらにサービスを強化するためにIT化を進めていきたいとのことです。ただし、お客様と触れ合う部分はこれまでのとおり人を介して行い、お客様に見えない部分でお客様の利便性を向上させるために、主としてバックヤードでのIT化を進めたいということです。人が行うあたたかい属人的良さとITの持つ効率性を融合させていきたいということです。

 ・旅館はふるさとの懐かしさ
 ・ホテルはさっぱりとしたあと味

 初代吉田社長は、この2つを融合させた日本のホテルを目指して山の上ホテル運営してきました。また“HOTEL WITH PERSONALITY(ホテルは人なり)”を標榜してこられたそうですが、今もその精神は山の上ホテルに脈々と受け継がれています。

 慌ただしい毎日の生活から離れ、おいしい食事、快適な宿泊、歴史を感じながらの館内散策。少し時間のある時にゆっくりと行きたい山の上ホテルでした。

◇ 株式会社山の上ホテル
http://www.yamanoue-hotel.co.jp/