ライフ株式会社 代表取締役 齋藤 元誉(さいとう もとしげ)社長
ノート、手帳、メモ帳など、皆さんは紙の文房具へのこだわりを持っておられるでしょうか?とりあえず書ければ良い、メモできれば良い、安いほうが良いという方もいるでしょう。
一方で、この文房具メーカーのこの製品を使い続けて数十年という方もいるでしょう。いわゆる“こだわり派”の方々です。この“こだわり派”の方に絶大な人気を誇る紙文具メーカーが今回お邪魔したライフ株式会社です。
私の場合、一昨年末の大掃除の際、その年に使った7冊のノートを見直していましたら、大事な問題や記録、再考すべきこと、やり残したことなどがノートに記録されていることを発見。にもかかわらず、だらしなく乱雑にムダにノートを使っていたことに気づき反省。ちょうど年末でしたので、来年は記録を残すつもりでノートをとろうと思い、なんでも形から入る癖のある私は、ムダにできないチョット高めのノートを買うため渋谷の大手文具店に行きました。そこで出会ったのがライフ株式会社から発売されている“ノーブルノート”です。渋いレトロなデザインの朱色の表紙、目に優しくクリーム色で書き心地抜群の紙、邪魔にならずそれでいて文字の配列をリードしてくれる5ミリ方眼、半年使ってもびくともしない製本などこんなノートがあったのかというのが私の使った感想です。
前置きが長くなりました。それでは、東神田にあるライフ株式会社、齋藤元誉(さいとう もとしげ)社長のインタビューのスタートです。
倒産の危機
ご挨拶を済ませた後、早速こだわりノートの話からお聞きしようかなあと思っておりましたら、齋藤社長から“チョット本題に入る前にいいですか。実はウチの会社は10年前に一度倒産したんです”という衝撃の発言。“来年の1月で晴れてその時からの返済が全て終るんです”と齋藤社長。
ライフ株式会社は昭和24年に齋藤社長の祖父が創業された会社です。齋藤社長の父親が2代目として事業を継承。齋藤社長の兄が家業を継ぐべく父親をサポートし、齋藤社長は、大手商社で化学製品を扱う商社マンをしていたのです。ライフ株式会社に入るつもりは全くなかったんだそうです。
ところが2000年の年明け、衝撃の事実に直面します。父と兄に呼ばれた齋藤社長は、二人から会社が13億円の負債を抱えてもう立ち行かないことを説明されたのです。この事態をなんとかしなければならないと思った齋藤社長は、弁護士に相談、民事再生法という法律があることを知ります。まだ施行されたばかりだったのですが、この法律にのっとって会社を再生させることを決断したのです。
もちろん会社再建の責任者は自分が社長になり引き受けなければなりません。長く勤めた商社を辞め、ライフ株式会社再建の先頭に立つことになったのです。
再建への道
民事再生法によって、負債13億円のうち10億円の免除をしてもらったとはいえ、残り3億円の借入金の返済は中小企業にとって半端な重さではありません。齋藤社長のガムシャラな努力がスタートします。朝5時に家を出て、物流センターで仕事し、昼間は営業、加工先工場、金融機関、弁護士などとの打ち合わせ、夜は再び物流センターに戻って夜の1時、2時まで出荷の陣頭指揮という生活が続いたそうです。社長を引き受けた当初の年齢は37歳。“若くなければ無理だったかもしれません”と齋藤社長。
“倒産の一番の原因はなんだったのですか?”とお聞きしたところ、“利益を無視して売上拡大志向に走ってしまったことでした”と齋藤社長。売上拡大を重視するあまり、オリジナル製品よりも売りやすい仕入商品に頼ってしまい、販売経費もかさんで、結果として赤字が積み重なり巨額の負債を作ってしまったのです。
数字の管理もずさんだったので、齋藤社長が就任して以来、徹底的な数字による効率経営を行ってきたのです。収益性の悪い仕入商品をカットし、収益率の高いオリジナル商品の割合を45%から70%超にすることにより、収益率の高い会社にしてきたのです。
倒産時には97名いた社員も削減をしていき、一時は26名まで絞ったそうです。現在はパートさんも入れて40名体制。昨年より新入社員も採用でき、やっと普通の会社の仲間入りができましたと齋藤社長。
社員のリストラにより発生した労働債務も2億円ほどあり、借入金と合計すると5億円を返済し、見事にライフ株式会社を再建した齋藤社長ですが、なぜこの困難を引き受け、この困難を乗り越えることができたんですか?とお聞きしたところ、“創業者である祖父の導きのような気がします”とのこと。
昭和24年に創業し、良質な紙を使った手形帳を大ヒットさせ、ライフ株式会社の基盤を作った祖父への思いが齋藤社長の力の源になっていたのです。
加工先工場とともに
ライフ株式会社は、自社工場を持たない紙文具のメーカーです。台東区、江東区、葛飾区など下町にある町工場が、ライフ株式会社の製品製造を支えています。齋藤社長は言います“当社では決して下請けとか外注先という言い方はしません。加工先様と呼び、同じ一つの会社のようにお付き合いをさせてもらっています。”と。
10社ほどある加工先工場が、30数工程あるノートづくりを担っています。それぞれの加工先工場の職人としてのこだわりが、そのままライフ株式会社のオリジナル製品のこだわりにつながっています。ノート作りのほとんどの工程が手作りだそうです。紙の断裁機の歯の状態が最高のときにしか紙を断裁しないという職人さん、何年使ってもほつれない製本にこだわっている職人さん、便箋が綺麗にめくれる様に気温や湿度にあわせて糊を調整する職人さんなど、ライフ株式会社の加工先工場の職人さんたちの技が最高のノートとなって結晶しているのです。このこだわりのノート作りの工程は一つの文化です。齋藤社長はこの文化を世の中で知って欲しいと思い、普通は公開しない自社の加工先工場の情報をオープンにしているのです。“加工先ビデオ”というDVDにまでして配布しています。
10年前に経営危機を迎えた際も、加工先工場の協力なくしては乗り越えられなかったと齋藤社長。加工先工場はライフ株式会社にとって家族のような存在なのです。
紙へのこだわり
紙の文具は世の中のペーパーレスの風潮の中でどんどん減少しています。昔20数種類発売していたアドレス帳も現在では数種類しか発売していないそうです。特に、手紙を書く習慣が少なくなった昨今では、縦書きの便箋が激減しています。文章を書くのはパソコン、手紙を書くのは携帯電話でメールといった具合に、紙の文具は私たちの身の回りからどんどん減少しています。
しかし、齋藤社長は、ひらめきやアイデアを書き留めたり、メモをとったり、イメージを書いてそれを膨らましていくのはやっぱり紙がいいのではないかと言います。最後にまとめていくのにはパソコンがいいけど、そこまでのプロセスは紙がいいという齊藤社長の意見に私も賛成です。だから、決してノートはなくならないし、創造力を必要とする方には是非、良いノートを使って欲しいと思うのです。
創業者である齊藤社長の祖父が、手形帳の紙の品質にこだわった伝統は現在でも脈々と受け継がれています。多くのオリジナル製品に使われている紙は、ライフ株式会社のオリジナルの紙です。書きやすさ、しなやかさといった筆記特性を徹底的に追求したものです。紙の筆記特性は、仕様が同じでも製造されたロットごとに違うので、毎回ロットごとに“書き心地”を実地で確認しているそうです。仕様の数値では表すことのできない“書き心地”にこだわるのがライフ株式会社の伝統なのです。
罫線も他社製品と比較すると色が薄くしてあります。書いた文字や図表が主役だから、罫線は薄くなければならないというこれもこだわりの一つです。
“この書き心地、ペンじゃなく紙なんだ”これが私のモットーなんですよと齊藤社長。
最後に、“大変な苦労をした10年でしたが、この会社に入って本当に良かったと感じている”と齋藤社長は言われました。大手商社では決して見ることのできなかった加工先工場職人の方々のこだわりと技、苦しい時に助けてもらった優良な得意先の暖かさ、ライフ株式会社の製品を使い続けていただいているファンの方々とのふれあい、そして苦しい時を一緒に耐えてきた社員の方々の協力が齋藤社長にそう感じさせるのだろうという気がしました。
◇ ライフ株式会社
http://life-st.jp/