三松堂印刷株式会社 矢部一憲社長 / 株式会社昇文堂 齋田精一社長
千代田区にはさまざまな地場産業がありますが、その代表が印刷業です。この印刷業、バブル経済崩壊後の不況と情報化経済進展の影響をまともに受け、超逆風、非常に厳しい経営環境です。統計的に見ても日本全国で毎日数件の印刷会社が無くなっているのです。
業界の展望という面からみるとまことにつらいのですが、この厳しい印刷業界でも業績を伸ばしている会社もあります。今回の企業探訪は全く違った戦略で業績を伸ばしている二社を訪問させて頂きました。
まず一社目は三松堂印刷株式会社です。西神田にあるオフィスの14階にある社長室で、矢部一憲(やべ かずのり)社長へのインタビューのスタートです。
三松堂印刷は、1902年(明治35年)に創業した100年以上の歴史のある印刷会社です。現在の矢部一憲社長は、平成2年に社長に就任されました。現在従業員270名、東京都板橋区と埼玉県熊谷市の二箇所に最新設備を持つ工場があります。矢部社長就任後も順調に発展していますが、その要因はなんですか?とお聞きしたところ、以下のお話を頂きました。
(1) “目の前に仕事があっても将来も続くとは限らない”と認識し、需要の減少や競争の激化といった将来の経営環境を厳しい目で見て対応策をとる。
(2) 不況下で顧客はコスト削減のために、仕入業者、外注先など取引先の厳しい見直しに入っている。顧客のニーズにどれぐらい応えられるかが、選定されるか、選定から外れるかの分岐点になる。
(3) ウェッブの分野の仕事も増えているが、三松堂印刷のコア・ビジネスはあくまでも紙媒体であり、その足元を固めるために機械設備投資は積極的に行う。印刷機械設備は高額なものが多いので、そのための資本力の増強に努める。
(4) 印刷業は製造業であり、持てる設備を最大限稼働させることのできる24時間体制を構築する必要がある。そのために受注量の確保と、工場の労務環境の整備に力を入れる。
(5) 顧客が求めるワンストップ型サービスや、配送までの一貫体制によるサービスの提供を可能とする最小かつ最適な規模まで企業規模を拡大させる。それにより、紙やインクなど原材料の購買単価を下げることも可能となる。
(6) 製品の品質のみならず、情報セキュリティーや地球環境保護といった顧客からの新しいニーズに応えるため、システムや規格を積極的に取り入れる。
(7) 経営者として顧客にも社員にもウソはつかない。正直に経営を行なうことにより信頼が生まれる。
(8) オフィス環境を最高に良くすることにより顧客にも社員にも集まってもらい易くなり、結果としていい仕事が生まれる。(日経オフィス賞を受賞)
矢部社長のお話は、中小・中堅企業の王道を行く誠に堂々たる経営戦略であると感じました。「ウチは運がいいだけですよ」とおっしゃる矢部社長ですが、幸運・不運はどの会社にも同じようにめぐってくると思います。その幸運をどれぐらい確実につかめるか、その不運をどれぐらい早く回避できるかは、企業によって天と地の差があります。
インタビュー終了後に矢部社長が「ウチのルーツを見せますよ」と言って案内をしてくださったのが応接室。その壁に“その昔”三松堂印刷がまだ活版印刷を行っていた時代に、実際に使っていた活字の型がピカピカに磨かれ、額縁の中に奇麗に並べて掲示されていました。“その昔”といいましたが、「20年ぐらい前まではまだ使ってたんですよ」と矢部社長。印刷業界の環境変化の速さを感じました。
さて、もう一社お邪魔したのは株式会社昇文堂の齋田精一(さいだ せいいち)社長です。昇文堂も大変に歴史があり、1899年の創業で現在110年目を迎えています。齋田精一社長の祖父である齋田鶴松(さいだ つるまつ)氏が、当時最先端の技術であった石版技術(リトグラフ)を学び創業したのが始まりだそうです。ホームページに詳しい歴史が掲載されていますが、その最初に鶴松氏の経営に対する方針が示されています。
・ 我慢
・ 忍耐
・ 小さいことは美しい(根本方針)
その後“小さいことは美しい”という根本方針は現在の4代目精一社長まで綿々と受け継がれています。
関東大震災、太平洋戦争終戦のなど大変な激動期を生き抜いてきた昇文堂ですが、齋田精一社長が就任されて以来、現在もまだ続いている印刷不況は「産業構造の恒久的変化であり、二度と元に戻らないという意味において最も深刻な危機だ」と齋田社長はおっしゃいます。
そのような危機意識の中で、齋田社長は平成11年度からインターネットのホームページでのさまざまな印刷物の受注を始めたそうです。教育用トレーディングカードや紙製A4ファイルなど、自分で得意分野だと思っていた製品を探し出し掲載したものの注文はほとんどなし。
その後平成14年、それまで行なってきた手品用トランプの仕事から、“オリジナルトランプ”というアイデアを思いついたのです。インターネットのホームページから、54枚のカードの絵柄とケースの絵柄をオリジナルにしたものを最低300セットから頼むことができます。これが会社や団体の販促、PR、イベントの贈り物などに活用され、注文が舞い込むようになってきたのです。
・ 会社の商品を絵柄にしたトランプ
・ 人気キャラクターを絵柄にしたトランプ
・ 同人サークルでのテーマを絵柄にしたトランプ
(最近はアキバの萌え系、コミック系の注文が多い)
・ 地域の名勝を絵柄にした地域振興のためのトランプ
などさまざまオリジナルトランプの注文があるそうです。
トランプ印刷は一般的な印刷とは違った技術が必要であると齋田社長は言います。
・ すべりの良いトランプ専用の紙が必要
(昇文堂では製紙会社に特注)
・ 並べ方を間違えられず、検品に非常に時間がかかる。
・ 54枚のカードの中で1枚でもミスがあれば全部クレームになる。
・ 加工の面付けに独特のノウハウが必要である。
・ 300セットなどという小ロットで受注した場合、効率的に製造するノウハウが確立していないと不採算になる。
・ オリジナルの絵柄なので発注者との打合せに時間がかかる。
これらの問題を一つずつ克服し、昇文堂はオリジナルトランプの専門業者として、見事に印刷という大きな分野の中での隙間への特化を果たしたのです。“オリジナルトランプ”という“道”を見つけた昇文堂はその道を極めていきます。
その後、オリジナルトランプで得たノウハウをかるた、タロットカード、トレーディングカード、めんこ、花札、パズルなどに転用しています。もちろんすべてオリジナルということで、一般的な汎用商品は昇文堂では取り扱っていないのだそうです。
昇文堂の快進撃はインターネットの活用なしには語れません。どのようにすれば検索エンジンで1番上に出てくるようにするか?などホームページの内容やリンクの改善は立ち上げ以来毎月毎月行なわれているのだそうです。努力のかいがあってグーグルでも、ヤフーでも必ず上位にヒットするのです。インターネットの活用と物流の高度化により、北海道から沖縄まで日本全国から注文がくるのだそうです。
トランプ業界というのは任天堂、エンゼル商事をはじめとして関西が拠点で、一貫製造ラインを持って安定した大量生産を行なっているそうで、そのような商品とは一線を画し、“オリジナルトランプ”というニッチな隙間を昇文堂は事業領域と決めているのです。
いくらヒットしているからといって、急に増員したりして組織を大きくすることを目指してはいませんとおっしゃる齋田社長。やはり鶴松祖父の“小さいことは美しい”という根本方針をしっかり守っているのです。
齋田社長の話によると、印刷業界では“特化”ということが数年前から叫ばれていのだそうです。昇文堂はその最も成功した事例だろうと思われます。そのほかにも、ナンバリング専門の印刷会社、色盲チェック専門の印刷会社などさまざまな形があるらしいのですが、“特化”というのは中小企業が小さくともしぶとく生き残っていくためのキーワードのようです。
今回、印刷会社二社を訪問させて頂きました。それぞれ戦略は全く違いますが、厳しい経営環境の中で業績を伸ばしています。
印刷業は千代田区の地場産業です。まちみらい千代田としてもこの地場産業応援の一方策として、平成21年7月には千代田印刷会館の二つのフロアーを、印刷会社と関連業種との連携拠点として活用すべく、プラットフォームサービス株式会社と協力してリニューアルオープンしました。ご興味があるかたは公益財団法人まちみらい千代田産業まちづくりグループ(03-3233-7558)までお問い合わせ下さい。