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株式会社龍名館 代表取締役 浜田敏男(はまだとしお)社長

二つの和の心でお客様をおもてなしlegwork_noimage

 神田駿河台、地下鉄新御茶ノ水駅のほど近くに、和風の旅館があります。旅館龍名館本店です。明治32 年の創業以来今年で110 年、外観はビルですが、一歩中に入ると数寄屋風客室、畳、床の間、布団といった和のたたずまいで、静かにお客様をもてなし続けています。
 旅館龍名館本店を運営する株式会社龍名館は、都心の和風旅館がほとんど洋風ホテルに変わり、中には廃業する旅館も増えてきた中で、将来も和風旅館として千代田区へのお客様をもてなしてほしいということで、第2回千代田ビジネス大賞の特別賞を受賞されました。

 株式会社龍名館は旅館龍名館本店の他、ホテル龍名館東京、六本木龍名館花ごよみ(料亭)、また商業テナントビルなどを経営されていますが、今回は旅館龍名館本店中心に代表取締役浜田敏男(はまだとしお)社長にお話をお伺いしました。

株式会社龍名館の激動の歴史

 110年に及ぶ旅館龍名館本店の歴史をお聞きすると、明治、大正、昭和、平成という時の流れの中で、歴代当主、社長と社員の皆さんの大変な努力の結果、その歴史が受け継がれてきたことが分かります。
 龍名館は創業以来、順調な成長を続け、2代目浜田次郎社長の代では、本店以外にも呉服橋と猿楽町に2つの支店を経営されていたそうです。しかし、大正12年に起きた関東大震災で3店とも焼失。2代目浜田次郎社長はじめ社員の皆さんも、茫然自失の状態だったと思われますが、浜田次郎社長はすぐに再建のための行動を起こします。

 再建に必要なものはまず資金。その資金を援助してくれたのが、龍名館のお客様であった山形県酒田の大富豪本間家だそうです。“せめてなりたや殿様に”と歌われたほどの本間家。
 2代目と初代夫人が資金援助のお願いをしたところ、ふたつ返事で快諾され、しかも無利息・無期限という条件。本間家の方々はよほど龍名館を気に入り、浜田家の方々を信頼していたのでしょう。この復興資金は、社長はじめ社員のみなさんの必死の努力により、戦争前にはすべて返済したそうです。
 関東大震災からの復興が進むなか、昭和の時代がスタートしますが、それから日本は戦争への道を突き進んでいくことになります。第二次世界大戦中は、本店の新館8室と広間を「大東亜省」の官舎として貸していたのだそうです。
 やがて終戦。旅館龍名館本店は焼け残ったものの呉服橋支店は空襲で焼失。龍名館では闇物資に手を出さなかったために、食料の調達には相当の苦労をしたそうです。日本中がそうだっとはいえ、終戦からの復興は、現代の我々には想像することのできない苦労があったことと思われます。

 その後、3代目浜田隆社長はみんなが慣れ親しんだ本店を高層ビルに立て直すことを決断します。現在の近代ビルができたわけです。外形は近代ビルですが、その1階・2階には和風旅館龍名館本店をしっかりと残したのです。
 時代は昭和から平成に入り、4代目浜田章男社長は、八重洲龍名館の建替を計画。途中社長を弟の浜田敏男氏に引き継ぎ、ご自身は会長に就任されましたが、建替計画は続行。平成21年6 月にホテル龍名館東京として開業しました。
 本店の敷地内に槐(えんじゅ)の木があります。関東大震災の際には、焼け焦げたものの間もなく新芽を付けたそうです。この槐の木は、100 年以上に及ぶ龍名館の激動の歴史を、静かに見守り続けているのです。

和風旅館へのこだわり

 旅館龍名館本店は、数寄屋づくり、畳の部屋、床の間、寝む際には布団、朝食は和食といった具合に、すべてに和風コンセプトが貫かれています。“昨年オープンしたホテル龍名館東京はホテル形式ですが、やはりそのコンセプトは和風です”と浜田社長。“日本人の習慣の基となっている和の良さを提供していくことが、先代より引き継いできた私たちの義務であると考えています”とのこと。
 布団の上げ下げなど、和風旅館はとにかく手間がかかります。“客室が12 室ですので出来るんですよ”とおっしゃる浜田社長ですが、決してそれだけではないでしょう。和のコンセプトを守りたいという強い気持ちの表れであると感じられます。
この伝統と和への思いは、龍名館宣言として次のようにまとめられています。

(1) 私達はなごみの心でくつろぎを提供します。
(2) 私達は笑顔で過去と未来をつなぎます。
(3) 私達は伝統と遊び心でご滞在を彩ります。

お客様は外国人

 旅館龍名館本店の大きな特徴ですが、和風旅館であるにもかかわらず、お客様の約半数が外国人なのです。スペイン、フランス、アメリカなど欧米のペアやグループでのお客様が多いのだそうです。これはもっぱら口コミによるもので、龍名館から仕掛けたのではないそうですが、せっかくなのでこれからは世界に向けた宿泊先紹介サイトに登録し、さらに外国のお客様にお越しいただきたいと浜田社長。

 成田に着いた外国の個人観光客はまずは東京を目指し、そこを拠点にして何泊かし、東京周辺を観光したのち、京都や北海道など地方の観光に行くことが多いそうです。ということは外国人の観光客にとって、日本での最初の宿泊先が旅館龍名館本店であることも多いということです。日本についたばかりで右も左も分らない外国人のお客様が多いので、“チェックインの時間や観光の案内など、できるだけ要望に応えられるように心がけています”というのは木村副支配人。外国に観光に行って最初のホテルで親切にされると、その国への印象はとっても良くなります。その意味で、日本の観光産業にとって旅館龍名館本店は、とっても大切な役割を負っているのです。

ブルキナファソへの支援

 龍名館では、神田地区のお祭りや町会活動など地域への貢献はもとより、世界の最貧国といわれる西アフリカのブルキナファソに、宿泊人数×10円を毎月寄付しています。
 この活動を浜田社長に提案してきたのは木村営業本部長。骨折の怪我で治療をしている時に、何か自分もチャリティー活動をできないかなあと友人に相談したところ、ブルキナファソへの寄付の話を聞きその趣旨に賛同。自分が参加し、他の幹部にも参加の声掛けをするだけでなく、会社としてもやりませんかということを浜田社長に提案し、会社全体で取り組むことになったのだそうでそうです。会社と幹部の皆さんの取り組みが始まってから約1年半、継続することが大事で、“将来は東京の他のホテルも参加してくれるようになればいいなあ”と木村営業本部長。
 木村営業本部長はアフリカの子供たちの環境を思い、なんと『大地の風』という歌まで作詞作曲しているのです。さらにはそれをご自分で歌い、そのCD まであるというのですからその才能はすごいものがあります。浜田社長によれば、“龍名館では芸達者な社員が多く、音楽バンドが編成できるぐらいいますよ”とのことでした。
 ブルキナファソへの国際支援という活動は、会社の中の社員の絆を強めることにも大きく貢献しているように思えます。

二つの和

 「人の和」というのが株式会社龍名館の社訓です。「和を以て貴しと為し、忤(さから)ふること無きを宗と為せよ」という聖徳太子の憲法17条の言葉から引用したものです。
浜田社長によれば、世の中の道理に逆らわず、上の者が和やかで、下の者が睦まじく親しみ、そうしたおだやかな空気の中で意見を述べ合えば、すべてのことがうまくいくであろうという意味だそうです。株式会社龍名館では、人の和が基礎となってその運営が行われているのです。その雰囲気は、カウンターの前でスタッフの皆さんの動きを見ているだけでも感じられます。

 もう一つの和の意味は、旅館龍名館本店にみられる数寄屋造りの和のコンセプト、日本式という意味での和です。ホテル龍名館東京もホテルの形態はとっていますが、そのおもてなしのこころはやはり和です。六本木で運営している料亭、六本木龍名館花ごよみもそのコンセプトは和です。
 過度に個人が尊重され、合理性や機能性ばかりが追求される西洋的価値観での生活になじんでしまっている私たちにとって、時には和の良さを振り返り、その意味を考え直す機会を旅館龍名館本店は与えてくれているのかも知れません。

◇ 株式会社龍名館
http://www.ryumeikan.co.jp/