代官町通りの千鳥ヶ淵に面した土手に、上側の直径が約1.4m、下側が約2.2mの構築物が7つある。太平洋戦争の末期、アメリカ軍による本土空襲に対する地上防空のために高射砲部隊が設置した高射機関砲の台座であるといわれている。この下には防空壕陣地があったとの記録や、この機関砲は44~45年に造られたが、実際に撃つ戦闘場面はなかったとの証言の新聞記事もある。なお、高射機関砲とは、機関銃の仲間で、これを大型化したものである。
代官町通りの千鳥ヶ淵に面した土手に、上側の直径が約1.4m、下側が約2.2mの構築物が7つある。太平洋戦争の末期、アメリカ軍による本土空襲に対する地上防空のために高射砲部隊が設置した高射機関砲の台座であるといわれている。この下には防空壕陣地があったとの記録や、この機関砲は44~45年に造られたが、実際に撃つ戦闘場面はなかったとの証言の新聞記事もある。なお、高射機関砲とは、機関銃の仲間で、これを大型化したものである。