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老舗企業に学ぶ事業再構築

中小企業診断士 柳義久(やなぎ よしひさ)

 皆様ご承知のように、経済産業省(以下「国」)では大きな予算を組んで、中小企業者の事業再構築を支援しています。国のホームページには「新型コロナウィルス感染症の影響が長期化し、当面の需要や売り上げの回復が期待しづらい中、ポストコロナ・ウィズコロナ時代の変化に対応するために中小企業等の事業再構築を支援することで、日本経済の構造転換を促すことが重要です。そのため、新分野展開、事業転換、業種転換、業態転換,又は事業再編という思い切った事業再構築に意欲を有する中小企業等の挑戦を支援します。」と記されています。

 しかし事業再構築といっても何をどうすればいいのか分からないという事業者もいます。筆者も個々の事業者が何をすればいいのか具体的な提案をする知恵はありません。

 そこで今回、当コラムでは「老舗企業に学ぶ「事業再構築」と題して、創業から200余年、幾多の困難を乗り越えて成長発展してきた鈴与株式会社の歴史から、新分野への展開、業態転換、業種転換、事業再編のヒントを得ていただければと考えました。

鈴与株式会社の歴史と事業展開については、同社のホームページや『200年企業(日経ビジネス人文庫)』を参考にさせていただきました。

【鈴与株式会社の歴史に学ぶ】

 鈴与は1801(享和元)年、静岡県清水港の廻船問屋として創業、以来200余年、幾度もの社会的経済的危機を、新分野展開、業態転換、事業再編によって乗り越え、今ではジェット機を所有し航空事業にも参入するなど、常に挑戦を続けている企業です。鈴与単独では、従業員数1185人(2021.9,1)、売上高1477億円(2022.8)、資本金10億円の企業です。

問屋株を譲り受けての創業

 今年の大河ドラマ「どうする家康」が始まりましたが、その徳川家康が、大坂夏の陣の勝利に貢献したとして廻船問屋42軒に特許を与えます。鈴与の歴史は、初代与平[1]がこの問屋の一人から問屋株を譲り受けて、1801年に廻船問屋・播磨屋与平を創業したことに始まります。

問屋特許の停止と安政の大地震

 1615(元和元)年以来、営業上の特許を付与され守られてきた清水港の特許問屋だったが、1841(天保12)年の天保の改革によって、問屋特許が停止され、事業を引き継いだばかりの三代目与平は、保護のない経験をしたことの無い荒波を乗り超えなければならなくなりました。
 1852(嘉永5)年、問屋特許の停止は解除されたものの、1854には安静の大地震に見舞われ、その痛手は計り知れないものとなりました。しかしこうした苦難にめげず、扱い品目の拡大を図り、幕末の動乱期を迎えるまでに播磨屋与平商店の地保固めに尽くしました。

急速な近代化の波

 [1] 与平については、資料により「興平」と表記されていますが、当社のHPの表記を採用しています。(鈴与株式会社ホームページ2022年12月12日検索)

 幕末から明治期、諸外国に門戸を開いた日本は、政治制度から食生活に至るまで、全ての面で急速な変化・近代化が進展します。四代目与平は、清水港の近代化と事業の拡張、多角化を進めました。
 1889(明治22)年東海道線の開通は、港の繁栄にはマイナスになるという不安をバネに塩やお茶に加え石炭の扱いを始め、屋号も鈴木与平に改称して開化の時代に挑みました。
 塩の元売り捌人の指定を受けるとともに、木材回漕業船舶代理店業、さらには海上保険の代理店を開始するなど、積極的に事業を拡張していきました。

清水港発展に心血を注ぐ

 清水市が誕生し、躍進が期待された清水港について、六代目与平は心血を注ぎ近代的な港湾建設に貢献します。自店では石炭からコークス・練炭・石油の販売を拡充し、再製塩元売捌人の指定を受ける一方、社会的な使命感から清水食品を設立するなど、地域の発展と自社の発展が密接に関係していることが顕著になっていきます。

第二次世界大戦からの再建

 戦争ほど大きな苦難はありません。数度にわたる空襲を受け焦土の中で終戦を迎えた清水港でしたが、早くも1947(昭和22)年にはみなと祭りが復活、再建が進みだします。
 同店にあっては、燃料革命が進む中で、石炭販売がピークを過ぎ、急速に液体燃料の石油への転換が図られていきます。プロパン需要も伸びて、扱品目の多角化が進んでいきます。
 七代目与平は、戦後の混乱の中、事業の拡張に傾注するとともに、清水市立病院、市立清水小学校の特殊学校開設、福祉施設「宍原荘」の開所、清水港湾資料館など、福祉・教育・文化振興にも大きな役割を果たします。

コンピュータ化とグローバリゼーションへの挑戦

 八代目与平の時代になると、輸出入貨物が増加し、コンピュータ化の進展物流形態の多様化、コストの低減化の要請が強まります。八代目与平は、自社では事業の統合と整備国内物流の整備、他方、御前崎港、豊橋港の港湾物流の整備とグローバリゼーションに対応した国際機能の拡充を図ります。
 また創業以来の柱である運輸部門と性格を異にする販売部門を分社して鈴与商事株式会社を設立し、大きな事業改革も行う。
 静岡理工科大学開設、清水エスパルスの運営支援など教育やスポーツを通じて地域社会の発展に寄与しました。

2021年10月創業220周年
 1801年、清水港で廻船問屋として創業して以来、地域住民、顧客、取引先に支えられ、経営の拠り所である「共生(ともいき)」の精神のもと、時代の変化に応じてさまざまな事業を展開。その結果、鈴与(株)、鈴与商事(株)、鈴与建設(株)、鈴与自動車運送(株)をはじめとする、約140社が集うグループに成長して、2021年10月220周年を迎えています。
 コロナ禍の現在もコロナ禍に対応した物流のあり方を追究して、成長を続けています。

まとめに変えて

 事業再構築の参考になればと鈴与株式会社の事業展開を、大分省略させていただきましたが、時代の変化の中で、大胆に事業展開を行ってきたことを感じていただければと思います。
 鈴与は今や大企業ですが、比較的規模の小さい老舗企業の業態転換について概観したいと思います。
 山梨県中央市にあるガソリンスタンドと自動車の整備事業を経営している従業員30名、資本金1000万円、株式会社佐渡屋という企業を紹介します。
 同社のホームページには創業400年と記されています。創業は、1615(慶長20)年、(日本経済大学教授後藤俊夫氏調べ)で、全国の創業の古さ順位で610位というところまでは分かっています。しかしHPに沿革や歴史の記載がなく、佐渡屋の歩みは分かっていませんでした。400年前にガソリンスタンドが存在するはずもなく気になっていましたので、電話で現在の社長に聞いてみました。
 現社長は、10数年前に創業家から事業を引き継いだこともあり、古いことはよく知りませんでしたが、江戸時代にはランプの油を商っていたり、薪炭を扱っていたりというような話を聞いているとのことでした。老舗研究者間では、祖業は「炭焼き業」ではないかと推測しています。
 創業年の古いガソリンスタンドは全国各地で散見されますが、祖業が炭焼き業であるケースが多いと言います。
 炭焼き業として創業し、ランプの油、薪や炭の販売をしていたが、生活に必要な燃料が変わっていくことに対応して、炭から豆炭、練炭に代わり、その後、灯油、自動車の普及に伴ってガソリンを提供するようになったケースです。
 創業から400年、生活に必要な燃料を提供し続けてきていますが、新しい時代の燃料需要に対応し、商品の扱いを切り替えるには相当の覚悟と思い切りが必要だったに違いありません。
 振り返ってみると簡単なように思えますが、先を予測できない人間にとって勇気のいることです。アフターコロナ時代は、コロナ以前と同じ社会に戻るわけではありません。ウィズコロナ時代の中でアフターコロナを見据えて、新しい時代に対応する準備をしていきましょう。

事業再構築補助金を活用しよう

 最初に述べましたように、国は大型予算を組み、構造的な課題に直面している業種・業態の事業者の業態転換、成長分野への大胆な事業展開に取り組む事業者等を事業再構築補助金によって支援しています。本来であれば、自力で新分野に取り組まなければなりませんが、国が支援してくれるという良い時代です。この機会を逃さず、自社の成長に補助金を活用して成長していただきたいと思います。

事業再構築補助金につては、下記を参照にしてください。
https://www.meti.go.jp/covid-19/jigyo_saikoutiku/index.html