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「親の心子知らず」、「子の心親知らず!」

中小企業診断士 柳 義久(やなぎ よしひさ)

がんばる中小企業応援リレーコラム
「事業承継について考える」

今年の4月から事業承継税制が大きく変わりました。平成30年度の税制改正で、事業承継時の贈与税・相続税の納税を猶予する事業承継税制が大きく改正され、10年間限定の特例措置が設けられました。事業承継を検討されている経営者の方は、中小企業庁のホームページをご覧いただき自社の事業承継を有利に進めていただきたいと思います。

さて、そのことは置くとして今回は、子供はいるが会社を継がせる気はない、あるいは子供が継いでくれるとは思っていない経営者に向けて「親の心子知らず、子の心親知らず」というテーマで発信していきたいと思います。

事例1.筆者は、中小企業の後継候補者だった。

筆者は、木材商[1]を営む伯父の後継候補者でした。高校を卒業したら伯父のカバン持ちをして何れは事業を承継することになっていました。

出所:材木商「麻葉屋」

daisuki-kanda.com歴史写真館より

ところが、筆者が高校2年生の秋、伯父が54才で急逝してしまったのです。後継者候補である筆者はまだ高校2年生の17歳、ワンマン経営者だった社長が急逝してしまったのですから、会社を継続することは困難になり、北日本木材株式会社(愛称キタモク、従業員10数名)の会社は廃業せざるをえませんでした。伯父の兄弟子が東京の深川から乗り込んできてテキパキと廃業対応をしてくれたことを半世紀前のことですがよく覚えています。

大みそかの集金を手伝わされたりしていた筆者は、こうした家業を継ぐよりも、大学へ行って、大企業に就職したい、サラ―リーマンになりたい、と思っていました。伯父の死をきっかけに受験勉強に取組み大学へと進み、卒業後は大企業に就職しました。そこでは、好きな仕事をすることができました。

にもかかわらず、幾度となく「家業があったらいいなぁ」とか、「あの時伯父が急逝していなかったら、自分が経営者になれたのになぁ」と思うことがありました。

実際、30歳の時に独立起業を真剣に考えましたが、その時は親の反対もあり踏みとどまりました。でも、40歳の時には、親にも家内にも相談せず、会社を辞めて、友人とともに起業してしまったのです。どこかに伯父[2]への思いを引きずっていたのかも知れません。商売をしている家で育つと、いやだと思いながらも魂が刷り込まれているのかもしれません。

筆者は、好きな仕事を担当していましたし、普通に課長にも昇進していましたので、仕事にも会社にも不満があったわけではありません。ただ自分で事業経営をやってみたい、仕事の経験を活かしたいと思ったのです。

サラリーマンを続けていたらどうなったかは辞めてしまったので、言及できませんが、独立起業後は資金繰りや人材の問題など、サラリーマンを続けていたよりも余計な苦労をしたのではないかと思っていますが、それはそれで充実していたのでしょう。

[1] 山師(やまし)山を歩き回って鉱脈を見つけたり、立木の売買をしたりする職業の人。日本国内において木材の流通に関しての仲卸や小売業を営むもの。材木屋(ざいもくや)、木材販売業など。
[2] 伯父は、父の姉の夫であるため血族ではありませんから、俗に言う「血の繋がり」はありません。

 事例1で考えてみました。

サラリーマンも30代、40代になるといろいろある?

筆者は、40歳で起業した当時のことを思い起こしてみました。課長にはなったし、仕事に不満があったわけではないが、このままサラリーマンでいても、先が見えたような気がしたのです。成果を上げても、上げなくても給料がそれほど変わるわけでもない。上司に上手く立ち振る舞っている奴が出世しているような状況も見えてきたし、何となく刺激がない、モチベーションが高まらない。そんな日常が続いていたような気がします。

伯父の事業を継ぐのが嫌だと思っていたけれど、こんなとき伯父に声をかけられていたら、コミュニケーションがとれていたら、事業を継いでいたに違いないと思いました。

残念ながらもう伯父はいないので、筆者は起業したのだと思います。伯父が生きていれば、その事業を引き継いで、更に自分がやりたい新規事業をやれたかもしれません。

事例2.思いもよらず、息子が入社しました。

 都内所在のA社は、印刷加工業です。筆者が4年前に初めて訪問した際、社長は62才で大変お元気でした。社長の父が創業者で現社長は2代目ですが、父の代とは全く違う事業に転換しました。父は自由にやらせてくれたそうです。

 事業は順調であるものの、後継者候補は不在でした。社員の中には適任者がいないし、息子さんは大手企業に就職し、役職についていて、家業を継ぐ意思は全くない。もちろん社長自身も息子には教育に金をかけてし、せっかく良い会社に就職できたのだから戻ってくる必要もない、継がせる気は全くない。M&Aでもいいということでした。

 筆者は事業承継の話をしたものの、取り付く島もない社長に対して、社長のところはいい会社だから息子さんに話してみてください、息子さんとコミュニケーションをとってみてください。とだけ話して、後は事業承継の話を避けるようにして、社長の事業に関する思いを伺いました。

 それから2年後にお会いすると、社長の右半身が少し不自由な感じで、歩くときに杖をついていました。理由は聞きませんでしたが、状態から察すると軽い脳梗塞を患われたように思います。事業に対する夢は以前と変わることなく話してくれました。何となく事業承継について聞いてみましたが、2年前と変わっていない様子でした。

 昨年秋にお会いする機会がありました。社長は筆者の顔を見るなり、「来年4月に息子が入社することになったよ」と、にこにこしながら話してくれました。

 筆者が最初にお会いした際に「息子さんに話してみてください、息子さんとコミュニケーションをとってみてください」と話したことを実践していただけたのかどうかは分かりませんが、そんなことはどうでもいいのです。結果が良ければ・・・・・。

 事例2について考えてみました。

 実はまだ、戻ってきた息子さんには会っていなので、余談をもっていうことはできませんが、父の状態を見て、自分が継がなければと思ったのかもしれません。元気なうちは親も強気ですから、息子に戻ってきてほしいとは言わないのですが、病気や加齢を意識したときに弱気になるものです。  筆者は、経営者が病気を意識したときに息子を呼び戻した事例を多く見聞きしてきました。事業承継を成功させるには何年もかかります。理想的には10年必要です。

本事例はまだ社長も元気そうですから、今からなら十分な事業承継が可能でしょう。

事例3.創業から420年余、事業承継の成功事例です。

千代田区神田猿楽町にある株式会社豊島屋本店(としまやほんてん)。同社は、1596年(慶長元年)創業ということですから今年で創業422年になる老舗です。老舗研究者の後藤俊夫さんによれば、豊島屋本店は「長寿大国日本」にあって、362番目の長寿企業だそうです。

豊島屋本店は、2017年度の千代田ビジネス大賞に応募され、多くの応募企業のなかから見事千代田区長賞に選ばれました。

筆者は、第16代当主である吉村俊之社長に取材させていただく機会を得、その際にお伺いした一部をご紹介します。

老舗に欠かせないのは事業の承継ですが、第16代目の吉村俊之氏は事業をどう継いだのでしょうか。俊之氏は1959年生まれ、豊島屋本店に入社したのは2001年、41歳の時です。それまでの俊之氏と言えば、京都大学大学院理学研究科を修了した後、日立製作所中央研究所の研究者になり半導体を研究していました。その後、スタンフォード大学ビジネススクールへ進み、修了後は、米国系経営コンサルティング会社に勤務していました。こうしたキャリアから、422年続く老舗企業とは言え中小企業である家業に入ったのは何故でしょうか?

父から進められたことは無いそうです。伺うところ、祖父も父も京都大学の卒業生で、祖父は銀行員となり、父は化学の分野に携わったそうです。若い時は自由に自分の好きな道に進みながら、ある年齢になると家業を継いでいる不思議がそこにあります。そこには、長男である自分の代でこの老舗を終わらせてはいけないという意識が根底にあったようです。
 俊之氏は、「外に出ることにはいい面と悪い面がある。いい面は家業を客観的に見ることができること、悪い面は、家業の理解が遅れること」だと言い、「私は2006年に社長に就任したばかりで、酒をつくれない、まだまだ修行の身です」と話しています。

 事例3について考えてみました。

 注目は、吉村社長の言葉です。「外に出ることはいい面と悪い面がある」という「外に出る」には必ず「戻ってくる」を含んでいるように思えます。何代も続いてくると、若い時は自由に好きな道へ進んでいてもそこから多くのものを得て戻ってくるのでしょうか。実は俊之氏の息子さんも現役の京大生だそうです。これから広い世界を見て、何十年後か先には神田猿楽町に戻ってきてくれるのでしょうか。その時は豊島屋本店の創業500年が見えてきます。

 

<まとめ>

  1. 筆者自身の経験から。商家や中小企業者の家で育った人はどことなく事業欲をもっているのではないか!一旦会社員になったとしても、きっかけがあれば親の会社に入り、事業を継ぎたいと思っていることが多いということ。
  2. 思いもかけず息子が入社したケースから。社長は息子に高い教育を受けさせ、大学卒業後は大手上場会社に就職したから、小規模な自社を継ぐことはないと思いこんでいました。サラリーマンとして悩んでいるだろうなんて考えたこともありません。子供の方も親から会社を継いでほしいなんて話は聞いたこともない。お互いの思い込みから、親子のコミュニケーションも無く、お互いが思っていることなんて推測もできないというケースです。
  3. 実名を挙げて紹介した豊島屋本店の事例からの示唆です。老舗に生まれ育った人は、どんなにいい企業に勤めていても、親の会社への興味は持っているということです。豊島屋本店以外の老舗の後継者数人からも同様の話をききました。

中小企業の事業承継では息子や娘が継ぐケースが圧倒的に多い。その一方で子供がいるにもかかわらず、後継者がいないという企業も多い。そこには様々な理由があります。

今回は、その理由の一つとして、親子のコミュニケーション不足から事業承継が失われそうになっているケースがあることを思い、筆者自身の経験、思ってもみなかった息子さんが戻ってきた事例、若い時は自由に好きなことをやっていても家業を継いできた豊島屋本店の事例から、親子のコミュニケーションの大切さを感じ取っていただきたいと思います。

なお、以上の意見は、調査データ等に基づいたものではなく、筆者の限られた範囲内での情報からの意見であることに留意願います。