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事業承継による成長

中小企業診断士 柳 義久(やなぎ よしひさ)

がんばる中小企業応援リレーコラム
テーマ 「中小企業の成長戦略」

「中小企業の成長戦略」第2回目は「事業承継による成長」と題してコラムをお届けします。

「アンゾフのマトリックス」の各象限を事業承継による世帯交代によって実現している企業、3社を紹介します。

 その前に、経営者の年齢と経常利益の関係データをご覧ください。中小企業経営者の年齢層が高くなるほど、最近5年間の経常利益が増加傾向にあると回答する割合は少なくなっており、逆に減少傾向とする割合が増加しています。

 経営者の年齢層が高くなるほど、事業を縮小したい、廃業したいとする割合が増加し、経営者の高齢化は、業績の悪化から廃業へと直結する可能性をはらんでいます。下図参照。
(出典:日本政策金融公庫総合研究所「中小企業の事業承継」2010)

 経営者の高齢化が、企業の業績悪化につながるおそれがあることを前図は示しているが、事業承継によって経営者の世代交代が行われた企業において、事業承継時の年齢別に、事業承継後の業績推移を示したのが次の図です。
 事業承継後の経営者の全ての年齢層で、「良くなった」と回答した割合が、「悪くなった」と回答した割合を上回っているが、事業承継時の年齢が若いほど、承継後の業績が向上する傾向が見られます。

 次に、事業承継者が事業の革新を行って、業績を向上させている企業の事例を紹介します。

◆事例企業1:中川株式会社

(中小企業白書2013版より転載)

 東京都台東区の中川株式会社(従業員30名、資本金3,000万円)は、祭り衣装等祭り用品の企画・制作・販売を行う1910年創業の老舗企業である。浅草に店舗を構えているほか、オンラインショップを運営し、全国の百貨店の催事にも出店している。
 同社の中川雅雄社長は、米国留学後、出版社勤務を経て、1987年、34歳で実父が経営する同社に入社した。その後、36歳で営業部長、44歳で専務に昇進し、経営革新を主導してきたことで経営手腕を認められ、2002年、48歳で社長に就任した。
 中川社長が、事業承継以前に行った経営革新の取組みの一つは、情報技術の活用である。留学中に、米国内で情報技術の活用が進んでいる実態を目の当たりにし、その重要性を認識した。同社は、インターネットが普及し始めた1998年頃に、他社に先駆けて自社のホームページでの通信販売を開始した。
 また、仕入から在庫管理、受注までの一連のプロセスをシステム化したことで、業務が効率化されたほか、過去のデータから季節商品である祭り用品の需要を予測し、在庫管理・発注を最適化できるようにもなった。さらに、情報技術の活用の効果を発揮させるためには、同社全体の情報技術に対する知識の底上げが必要と考え、商工会議所の研修等も活用しながら、従業員教育を積極的に行ってきている。

 こうした経営革新の取組みが奏功して、同社の事業規模は拡大し、従業員数も社長就任前の7名から現在の30名へと大幅に増加している。

中川社長は、「会社は、先代、先々代からの預かりものであり、会社を大きくしていくことが、経営を預かっている者の使命。自分が新しいことに取り組んできたことについて、先代は口を出さず、自由に行うことができた。社内で十分な実績を上げたため、社長になる頃には社内外でも認められるようになっていた。」と語る。

 

◆事例企業2:株式会社NOGUCHI

(『長寿企業のリスクマネジメント』第一法規2017参照)

 東京都中央区の株式会社NOGUCHI(ノグチ)(従業員115名、資本金7,050万円)は、1988(明治31)、打ち刃物・金物問屋、屋号「やまずみ」(現ユアサ商事(株))で番頭を務めていた野口茂助が暖簾分けによって創業した企業である。以来、同社は代々の経営革新により長寿企業として生き続けてきた。現在は、建築金物、建築用ビス、エクステリア、ビル建材金物、建具金物、建設副資材等の販売を行っている。
 六代目の野口茂一社長が入社した当時は、流通構造の変化が進んでいるにもかかわらず、旧態依然とした制度や仕組みが数多く残っていて、早晩抜本的な改革が求められていた。
 茂一氏は入社時に会長から「何か新しいことをやれ」と言われ、早々に経営者としての資質が試されることとなった。そこで通販事業に取り組むが、当初は成果が上がらず失敗に終わった。
 その後、自社独自のインターネット通販サイト「環境生活」を2005年に立上げ、以降徐々に拡大するようになり、それに伴って係長から部長、取締役へと昇進した。通販事業が軌道に乗るのに合わせて2009年に32歳で代表取締役に就任した。
 茂一は、必要な変革として、事業構造、組織風土、業務の3つを選んだ。通販事業やビル建材事業の等による経営の多角化による売上高の増強を図った。併せて開発組織の整備、ナショナルブランドから自社開発商品(PB)の販売への転換によりビジネスモデルを大きく変更し、売上高の拡大と収益性の向上を図った。
 同時に事業構造改革に必要不可欠で難題でもある企業風土の改革にも取り組んだ。人事評価制度面でも、年功序列を活かしつつ実力成果、行動プロセスに基づく評価体系を加味した。評価と報酬が連動していなかった体系を改め、評価基準も明確にした。
 茂一氏が変革を進めた結果、同社の現状は、住宅資材、ビル建材、通販、特需の4事業を主軸に幅広い商品・サービスを展開している。改革を通じて組織風土も大きく変わり、筋肉質の引き締まった体制に変貌を遂げている。従来の自社製品を持たない弱点を補強する「商品開発部」を設立し、自社ブランド開発に注力し、顧客ニーズに応じたオリジナルヒット商品を次々に誕生させ、同社ブランドが認知されるようになってきている。

◆事例企業3:有限会社佐藤養助商店

(中小企業白書2013年版、『長寿企業のリスクマネジメント』参照)
 秋田県湯沢市の有限会社佐藤養助商店(従業員237名、資本金1,000万円)は、1860(万延元)年の創業以来、地域の名産品である稲庭うどんの知名度向上に力を尽くしてきた老舗企業です。
 同社の先代社長である佐藤養助会長は、1967(昭和42)年23歳の若さで家業を継いだものの、家業の将来を全く見通せないでいた。
 稲庭うどんのルーツは350年前に遡る。秋田県南部は、良質な小麦の産地、しかも澄んだ空気と美味しい水、これに藩主が着目し、稲庭の村人たちに命じてうどんをつくらせたのが1661~1672(寛文年間)年と『稲庭古今事蹟誌』に残っている。藩主への上納品として始まり、藩の名産品として藩御用達となり1752(宝暦2)年、さらに参勤交代の際に藩主が贈答品とし、将軍家や各地大名にも旨さが絶賛された。1877(明治10)年の『第1回内国勧業博覧会』では褒状を授与され、1887(明治20)年には宮内省御用達となる栄誉を得た歴史がある。
 この由緒正しい稲庭うどんは全て職人による手煉り・手延べで3日を費やしてつくられ、高価で庶民とは無縁の存在だった。
 稲庭うどんの製法は一子相伝の秘法とされてきた。佐藤家の本家である稲庭(佐藤)吉左エ門に技術が受け継がれ、改良が重ねられて製法が確立した。1665(寛文5)年以来、門外不出であったが、一子相伝技が絶えるのを心配した本家の吉左エ門が、特別に二代目佐藤養助に秘法を伝授し、当家は1860(万延元)年に創業した。
 長い歴史を継ぐ当家の七代目としての立ち位置は理解しているが、この美味しいうどんを多くの人々に広める方法はないか。高校を卒業して以来、厳しい毎日の作業を繰り返しつつ、家業の行く末を案じていた。もし事業規模が拡大できれば、冬の都会への出稼ぎを減らす効果も期待できないだろうか。しかし本家と当家だけでの生産では、それは夢でしかない。家業のままで終わって良いのだろうかと自問自答していた。
 1972(昭和47)年、七代目佐藤養助は技術公開に踏み切り、稲庭うどんを家業から大規模事業へと転化させる道を選んだ。地場産業へと発展できれば、単に当家の経営が拡大し、家業から脱却できるだけではない。地域に雇用機会が生まれ、都会へ出稼ぎに行く必要もなくなる。
 それまで同社では、家族だけで稲庭うどんを製造していたが、地域の人々を職人として育てあげ、徐々に生産量を増やしながら、稲庭うどん製造を地場産業へと発展させた。

佐藤会長は自身の経験から、若い時にこそ、思い切った改革を実現できると考え、長男である正明氏への事業承継を早いうちに行う意向をもっていた。
 正明氏は、高校卒業後、1987(昭和62)年に18才で同社に入社し、10年間に渡って製造、販売等各部門で経験を積んだ。30歳で専務に就任した頃には、会長から経営を任され、新たに飲食店部門を立上げて、事業拡大を図った。2004(平成16)年、35歳で社長に就任した後も出店を増やしており、県内ばかりでなく、東京、福岡、海外では香港、韓国、台湾へと出店し、店舗を運営している。

 

 今、私たちが美味しい稲庭うどんを食べることができるのは、七代目の若い時の大英断と、若くして八代目を承継した佐藤正明社長の出店展開のお蔭であるといえる。

◆おわりに

 今回は事業承継により経営者が若返ることで経営が改善し、業績が向上している事例を紹介してきた。
 中小企業白書2013年版からは、事業承継者の全年齢層で、事業承継後経営が改善していることが分かった。特に事業承継者の年齢層が若いほど業績が向上していることも分かった。
 事例企業1からは、事業承継者が、承継以前に、情報技術の活用により経営革新に取り組んできた事例である。留学中に、米国内で情報技術の活用が進んでいる実態を目の当たりにし、その重要性を認識し、インターネットが普及し始めた1998年頃に、他社に先駆けて自社のホームページでの通信販売を開始した。先代と後継者間で最も大きなリテラシーの差があるところがITである。事業承継時の年齢は48才であった。
 事例企業2についても、入社と同時に「何か新しいことをやれ」と言われ、そこで通販事業に取り組むが、当初は成果が上がらず失敗に終わる。経営者としての資質を試されながらも、自社独自のインターネット通販サイトを立上げ、徐々に業績を上げ、通販事業が軌道に乗り、成功体験をもって、32歳で代表取締役に就任した事例である。この事例もITの利活用による成功である。
 事例企業3は、先代が決断したオープンイノベーションの恩恵を最大限に活かし、地域から大消費地へ、さらに世界へと市場拡大を図っている事例である。
 事例企業の若き社長は、「経営者が代わらないと、企業は変われない。企業は、世代交代することにより、時代の変化に柔軟に対応できるようになる。伝統や経営理念等変えてはならないものもあるが、新たな経営者が自社の経営を見直し、新しいことに挑戦していく必要がある」と語っている。