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橘昌邦さんの物語り

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にぎわいのある街の中で、静かに変化が起きていた

神田駅とその周辺は、人通りも多くいつもにぎわいのあるエリア。大手町や丸の内のような大規模なビジネス街ではないが、さまざまなビルが並び、飲食店も多く見受けられる。都心とはいえ、気取りのない庶民的な印象があるが、居並ぶビルの中にはたくさんのオフィスがある。それらには何の問題もなさそうに思えるが、実態はそうではなかった。

2000年初め、神田駅周辺のビルと商店街は、空室の増加と産業の衰退がジワジワと進んでいた。神田は都心で、もともと土地を所有していた住民は、その地の利を生かして、自宅をビルに建て替え、貸しビルにした。つまり、神田は不動産業が多いエリアと言えた。
しかし、バブルがはじけて以降、都心全体でオフィス需要が減っていく中で、神田地域でも需要は賃料の安い小規模ビルと、最新の設備を備えた大規模な新築ビルに二極化していく。神田の中規模ビルはまたたく間に空室率が上昇していった。そこにオフィスがなくなると、働く人がいなくなる。人がいなくなると、商店街もお店が成り立たなくなる。そのまま進行してしまうと、エリアとして経済が成り立たなくなる危機に瀕していたのだ。
このような事態を解決するべく参画したのが、まちづくりや不動産開発・運営のノウハウを持つ、株式会社POD代表の橘昌邦さんだ。

「当時、神田エリアには多くのビルが存在し、その中で中抜け問題が解決の急務となっていました」
そもそも、この辺りは土地オーナーの自宅か店舗があった場所に建てたビルがほとんどで、1階は貸店舗に、最上階はオーナーの住居になっていることが多い。その間の2階以上のフロアを賃貸オフィスとして供給していたのだが、徐々に中抜け状態になり、空室率が上がっていたのだった。
ビルの老朽化問題も深刻だ。戦争中、神田駅周辺は空襲で焼け野原になってしまい、戦後の復興の流れで建て替えのため、ビル化が進んだ。そのため、ほかの地域と比べて老朽化が早めに来ているのだ。しかも旧耐震構造であり、エレベーターもない。そういう状況で地域が弱り始めていた2003年頃、六本木ヒルズなどの大型のオフィスビルが、ほかの地域に多く完成し、オフィスの大移動が起こった。大手企業が引っ越すと、その周辺の中小企業も一緒に引っ越す。そうして古いところを中心に空室が増えるという事態に陥ったのだった。

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問題はかなり根深かった

通常、需要と供給の関係で、借り手が少なくなれば、賃料を下げるなどしてできるだけ入居率を上げるのが一般的な方法と言えるが、この神田エリアのオーナーたちには、その発想はなかったそうだ。
「ずいぶん前に建てているのでローンの償還も終わっていました。そのため、ランニングコストさえ払えれば良いので、危機感に欠けていたところもありましたね。それにもともと不動産業の方たちではないので、不動産専門業者に管理を委託していた。」
当時、神田エリアでは空室率が2ケタにもなり、早く解決策を見つけないといけないところまで来ていたそうだ。
そこで、空室率改善・産業振興を同時に解決することを目的とした中小ビル連携による地域産業の活性化と地域コミュニティの再生」~遊休施設オーナーのネットワーク化と家守による SOHO まちづくり施策の展開~が2003年に千代田SOHOまちづくり検討会により提言としてとりまとめられた。その内容はビル空室を受け皿に街に資する人や企業を誘致し、産業と結びつけて地域を振興しようというものであった。
その検討が進められている中、メンバーに不動産プロジェクトの専門家がいなかったことから、橘さんと当時橘さんが勤務する株式会社アフターヌーンソサエティ代表の清水義次氏が参画することになったのだった。

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神田エリアの意識改革がスタート

提言のねらいは、増加する民間所有ビルの空室を有効活用することだ。徒歩圏の範囲内で中小ビルの空室をまとめ、その中心に広めの拠点を設け、中小ビルでは収まりきらない会議室や高機能複合機などをそこに集約し共用することで、これらビル空室があたかも一つのビルのように機能させていく。
またエリア内のビルのオーナー同士が出資するファンドを組成し、ビル空室をリノベーションするための財源として運用していく。そしてその過程において、新たな入居者が地域の産業やコミュニティと結びつくことで、産業を活性化していくというのが目的だ。
当時の神田エリアのビルの入居者は、弁護士、税理士などの士業の人をはじめ堅い業種の法人企業が多かった。そのため、ビルオーナーの人たちには、カタカナ業界や個人事業主のような人々にオフィスを貸す発想がなかった。
そもそも事業規模の小さいSOHOやベンチャー企業、デザイナーなどのクリエイターは、こうした場所に固定の事務所を持つことは少なく、先述のようなビルオーナーたちとの接点もほとんどない。さらに、シェアリングエコノミーやリモートワークといった、これまでの定型化した事務所ビルユーザーとは異なるワークスタイルとニーズを持っている。
そこで、中抜けの起きているフロアを使いやすくリノベーションするとともに、ビルオーナーとワーカーの両者を取り持つ「家守」という仕事を取り入れることになった。
家守とは江戸時代に存在していた人のことで、当時は地主や家主が所有する土地や家屋を代わりに管理し、地代や店賃の徴収などを行なっていた。
「昔の長屋は井戸などの水場やトイレは長屋の住人でシェアしていました。よく落語で大家と店子の話が出てきますが、この大家は家守のことで、そこに住んでいない本当の地主に代わって管理・差配するのが仕事です。それは、住居の維持管理から住民の面倒を見ること、さらには町の運営など多岐にわたっていました。民間におけるまちのマネジメントの専門家とも言えます」

SOHOまちづくり構想では、家守を地域のマネジメントの核に据え、地域の特性や動向に合わせて空室と店子のマッチングを行ったり、地域の産業やコミュニティと店子のマッチングを行ったりすることで地域の魅力と活力を取り戻そうと考えたのだ。
家守を核に据えたのは、このような店子の面倒見やオフィスをネットワーク化し運用するといった事業は従来の不動産業の領域を超えたものであり、昔ながらの不動産業者やビルオーナーではこの仕組みの運用は難しいと思われたこと、そして家守は長屋やまちの差配においてシェア(共用)という考えと親和性が高かったことからである。賃料は従来の地域の不動産募集と異なり実勢価格程度に抑えた内容とした。
まずリーディングプロジェクトとして、シェアオフィス「REN BASE」を内神田に開設。「REN BASE」は、通常のシェアオフィスと違い、メンバーだけではなく街とのシェアも含む“まちのシェアオフィス”として、さまざまな使われ方をしていった。

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発想の転換を起こすことが大変だった

地域の産業を活性化するため、数百人規模のクリエイターを誘致することを目指していたが、神田はクリエイターたちにとって認知度は低く、知っていても訪れたことなどあまりないまちだった。そのため、まずは認知してもらい、そし訪れてもらう事から始める必要があった。

そこで2003年「RENBASE」のオープンに合わせて、仲間に呼びかけ「セントラルイースト東京」というアートイベントを神田から日本橋、馬喰町に至るエリアで公的支援も受けず純粋な民間活動として開催した。これは、街中の多様な未低利用空間を短期間借り受け、それらをクリエイターに提供して使ってもらうことで、エリア全体をギャラリー化する試みで、3年目の2005年には会場数は150か所を超える規模にまで膨れていった。このイベントをきっかけにクリエイターが地域に入り始め、徐々にその数を増やしていった。一方、このイベントは今までビルオーナーの意識になかった、新しい顧客となるクリエイターたちの姿やリノベーションという手法を強制的に見せてしまおうという意図も隠されていた。
この「セントラルイースト東京」には、さまざまな人やボランティア、学生のボランティアも参加し、橘さんも事務局長や不動産・まち担当ディレクターとして一緒に汗を流した。

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まちづくりは、人を主役に、目的を明確に

橘さんは現在も神田エリアの家守として、場所を神田美土代町に移した「REN BASE」を拠点に運営などに力を注いでいる。そんな橘さんにとって神田はどんな街なのだろう。
「神田=千代田区・・・こんなに恵まれたところはないでしょう。大手企業や行政府も集中している。ここでまちづくりが上手くできなかったら、どこでできるのかと思うくらい。しかし、逆に言うと、街としては田舎だと思います。住民の少ない過疎地だし、街の仕組みも古い。また、おそらく区役所職員のほとんどが区民ではないし、千代田区くらいの人口では、政治の影響を受けやすい一面もあります。」

かつて、成長期の神田地域は全国から人や情報があつまり、交換される場としてにぎわっていた。そして住む人は、神田で働く職人であり、神田で物を売る商人であった。
形は変われど、現在でも神田には画廊や美術学校、出版社が多く集まり、アート系や建築系、デザイン系の多くの団体が活動の場に神田を選んでいる。区内には、インキュベーション事業やTLO(技術移転機関)を有する大学も多く、今後、こうした人たちや活動と連携を図っていくことを、橘さんは考えているという。
また、神田は大手町、丸の内といった一大ビジネス街から近く、神田駅からは都内のどこへ行くにもアクセスがいい。隣の秋葉原駅周辺には、ソフトウェア・システム開発やWEB関連のIT企業が約600社以上も集積していることもあり、今後は職を求めて全国のクリエイティブワーカーたちが神田地域に集まるだろう。
こうした人たちのワークスタイルは、ワンフロアの大きなスペースというよりも、中小規模のフロアと、ネットワーク型あるいはコラボレーション型のオフィス環境と親和性が高い。
SOHOまちづくり構想の使命は、こうした神田・秋葉原の地域特性や新たな需要を見逃さず、適した空室や空きオフィスとマッチングさせること。そして、新しい「職と技」を持つ人材を集め、職人や商人が暮らしたかつての神田のように、「稼げる街」「新しい人や物、情報が集まる場所」として地域の魅力を広め、活力を取り戻すことにあるのだ。

橘さんのまちづくりの考え方の基本であり、最も心がけているのは、“誰のため、何のために街を変えるのか”ということ。その視点をなくすと、手段が目的化してしまい、ブレが出てしまうという。
またコンサルティングに対する最高の褒め言葉は「やったのは自分、あなたは何もしなかったでしょう」という言葉だという。それは橘さんのようなコンサルがいなくても回る仕組みをつくれたということで、地域の住民が自分たちで考えて継続していけるのが目標だ。
まちづくりの専門家という仕事は街が良ければ本来不要な仕事だと橘さんは考える。そんな橘さんの夢は、
「まちづくりのプロを撲滅すること。自分の仕事が不要になるほどまちをよくする、そんな気概を常に持っていたい」。そんな橘さんの言葉の中に「地域は人が主役」の信念が伺えた。

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